ロバートダウニーJr.
ロバート・ジョン・ダウニー・ジュニア(Robert John Downey Jr.、1965年4月4日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、プロデューサー。2013年度の「最も価値ある映画スター」ランキングで1位でV2を達成、「The King(帝王)」と称えられた[1]。
生い立ち
ニューヨーク州ニューヨーク出身。父親はアイルランド及びユダヤ系の映画監督ロバート・ダウニー・シニア、母親はドイツ及びスコットランド系の女優エルシー・フォード。5歳から父親の作品に子役として出演。10歳の時に、移住していたイングランドでクラシック・バレエを習う[2]。その後グリニッジ・ヴィレッジに移り住むが両親が離婚。13歳で父親とカリフォルニアに移住した。幼少時に好きだった俳優はピーター・オトゥールであった。
キャリア
5歳の時に、父親ダウニー・シニア監督の『Pound』(1970年)で子役として映画初出演。同監督作品に子役として数本出演した後、17歳でサンタモニカ高校を中退し俳優の道へ進む。『ベイビー・イッツ・ユー』(1983年)で本格的に映画デビュー。1985〜1986年には『サタデー・ナイト・ライブ』出演。初主演映画となった『ピックアップ・アーティスト』(1987年)、ドラッグ中毒の若者役を演じた『レス・ザン・ゼロ』(1987年)などで注目を集め、ブラット・パックの一員として取り上げられるようになる。
1992年公開の『チャーリー』で喜劇王チャーリー・チャップリンを演じ、英国アカデミー賞 主演男優賞を受賞。またアカデミー主演男優賞の候補となった。2000年にテレビシリーズ『アリー my Love』(第4シーズン)でゴールデングローブ賞助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞。2009年公開の『シャーロック・ホームズ』のシャーロック・ホームズ役で、ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。
2010年6月に、配偶者のスーザン・ダウニーと独立プロダクション「チーム・ダウニー」を設立。チーム最初の制作作品となった2014年の『ジャッジ 裁かれる判事』以降も、自身がプロデュースを手掛ける予定のプロジェクトが複数進行中である。また、監督デビューも視野に入れている模様[3][4]。俳優としてのキャリアも絶好調で、2015年にはハリウッドで最も高額なギャラを獲得する俳優となった[5]。
幼少時に独習したというピアノの腕前や歌唱力(弾き語り)もあり、作詞作曲も自らこなす。シンガーソングライターとしては、2004年にスタジオアルバム『ザ・フューチャリスト』を発表(収録されている一曲が映画『キスキス,バンバン』のエンドクレジットに採用されている。)。音楽面で影響を受けたとしてスティーリー・ダン、ハリー・ニルソン、U2、ザ・ポリスなどの名を挙げている。
薬物問題
父親に与えられたマリファナを8歳当時で既に常用していたなど、子供の頃からドラッグの問題を抱えていた[6]。薬物問題で6回逮捕されており、拘置所から撮影所に通ったなどの逸話を持つ。1996年4月に麻薬不法所持により初めて逮捕され、1999年8月からカリフォルニア州立刑務所へ1年間入所する。裁判の際に、薬物に耽溺する自身の感覚を「口の中に入れた散弾銃の引き金に指をかけ、ガンメタルの味を楽しんでいるよう」だと表現した[7]。
仮出所後にゲスト出演した『アリー my Love』第4シーズン(2000年 - 2001年)のラリー役では、ゴールデングローブ賞を受賞、またエミー賞にノミネートされるなど高い評価を得たものの、番組全米放送中の2001年4月にコカイン所持で再逮捕された。この件により3年間の保護観察処分となる。同時に1年間のリハビリ施設収容を命じられ、番組を途中降板した。再逮捕のニュースに、アリー役のキャリスタ・フロックハートはショックを受け倒れたという[8]。なおダウニー本人は後年、『アリー my Love』出演当時の自分は最低な状況にあったと述懐し、賞賛は過大評価であるとしている[9]。1996年から2001年にかけ薬物依存の克服に苦しんだが、2002年にクリーンと認められ保護観察処分を終えた。それでも完全に薬物を断つことはできずにいたが、2003年に「きっぱりと止める時がきた」と直感。所持していた麻薬を全て海に投げ捨て、それ以後ドラッグには手を出していないとのことである[10]。同年、旧友メル・ギブソンの助力を得てスクリーンに復帰する。
復帰全復活へ
デビュー当時から、メソッド演技法を用いて役柄を追求し数多くの作品で演技派俳優としての評価を得たが、極度のストレスから、それまでの演技派俳優から個性派俳優へと路線を転換させる[11]。個性派俳優に転換後は、癖のある助演役でメインストリームに復帰し、個性派の地位を不動のものとする。
2008年公開の『アイアンマン』で、「彼の波瀾万丈のキャリアがキャラクターに深みを与える」として、ジョン・ファヴロー監督から主人公のトニー・スターク役に抜擢される。制作スタジオ側は当初、薬物問題から「どんなことがあっても、彼を雇うことはない」としていたが、オーディションで他の役者たちを圧倒、トニー役を手に入れた[12]。その見事な役作りは、キャスティングに懐疑的だった原作ファンや批評家からも絶賛をもって迎えられることとなる。同作は米興収3億ドルを叩き出す大ヒットとなり、キャリアを代表する当たり役となった。また同年公開の『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』では、「役作りのために整形手術で黒人になってしまうオーストラリア人のメソッド俳優」、という複雑な役どころで完璧な黒人訛りを器用に使い分け、芸達者ぶりを改めて印象付けた。本作の演技はアカデミー助演男優賞やゴールデングローブ賞 助演男優賞を始め、各映画賞にノミネートされ高い評価を集める。この2作品のヒットにより完全復活となった。
2008年に米『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に[13]、『エンターテイメント・ウィークリー』誌のエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーに選出される[14]。
2009年12月にグローマンズ・チャイニーズ・シアター前に手形と足形を刻んだ[15]。
2010年より、米プランターズ社のシンボルキャラクターであるミスター・ピーナッツの吹き替えを担当。CMでは歌声も披露している。
2012年に『フォーブス』誌が発表した「主演作興行成績による俳優ランキング」において第1位に輝いた。フォーブスは世界興行収入15億ドル(約1265億円)を記録した『アベンジャーズ』を、「ロバートの魅力とユーモアが映画を成功へと導いた」と評している[16]。なお『アベンジャーズ』のギャラは5000万ドル(約50億円)である[12]。
2013年に『Vulture』誌が発表した「最も価値ある映画スター」ランキングで第1位に選出され、V2を達成した。同誌はダウニーを「The King(帝王)」と称えている[17][18][19]。
2015年には、『フォーブス』誌が発表した前述のランキングにおいてまたも第1位に輝き、2013年度版から3年連続で首位を獲得。ちなみに2014年の推定収入は7500万ドル(約76億円)、[20][21]2015年は8000万ドル(約99億円)とのことである。[22][23]
2015年の「MTVムービー・アワード」でジェネレーション賞(映画シーンにおける長年の功績を称える特別賞)を受賞。『アベンジャーズ』の共演者たちからトロフィーを授与された。[24][25] また『フォーブス』誌発表の2015年度版「世界で最も稼いだセレブ」で第8位となり、俳優として唯一のトップテン入りを果たしている。[26][27]
2015年12月24日、カリフォルニア州のジェリー・ブラウン知事により「すでに社会的制裁を受け、社会の一員として善行を積んでいる」として、20年前の薬物問題に対する恩赦を与えられた。これにより選挙権の復活が認められることとなった。[28][29]
私生活
1980年代にサラ・ジェシカ・パーカーとニューヨークで7年間同棲していたが、1991年に破局。原因はダウニーの薬物依存にあり、当時のことを「サラに別れを告げられて辛かった」と述懐している[30]。その後は24年にわたり絶縁状態にあったが、2014年にサラの自宅で再会を果たし「言いたいことを全て言えた」と和解に至ったことを公表した[31][32]。
1980年代後期にはマリサ・トメイとつきあっていた時期がある。マリサとは後に『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で共演を果たした。
『1969』(1988年)で共演したキーファー・サザーランドとはルームメイトだった。近年サザーランドが『ジミー・キンメル・ライブ!』において、「1980年代にロサンゼルスで3年間同居していた」と明かしている[33]。
1992年5月にモデルのデボラ・ファルコナーと結婚、1993年9月に長男インディオ・ファルコナーが誕生する。しかし1996年に別居を始め、2004年4月26日に正式に離婚した。
2003年に映画プロデューサーのスーザン・レヴィンと婚約、2005年8月27日に結婚。
2012年2月7日に、スーザンとの第1子となる男児が誕生。エクストン・エリアス・ダウニーと名付けられた[34]。
2014年6月29日に、長男インディオがコカイン所持により逮捕。ダウニーは「残念ながら薬物依存には遺伝的要素があり、息子はそれを受け継いだのだろう。家族みんなで結束し、彼をサポートする覚悟を決めている」と声明を発表した[35]。
2014年9月22日に、母エルシー・フォードが死去。彼女からの1本の電話が、薬物問題から抜け出すきっかけになったことを明かした。自身のFacebookにおいて「母親のいる人は自分の母親が完璧な人でなくても、電話してあげて。そしてそれでも愛していると伝えてほしい。」と記している。[36]
エピソード
- 2008年に『アイアンマン』のプロモーションで15年ぶりに来日した際、前歴および当時の日本における知名度の低さから、入国管理局により6時間の足止めを食っている。また日本のレストランで牛肉にあたり、食中毒を起こしている。滞在3日間で2キロ以上痩せるなど体調を大幅に崩し、大半の仕事をキャンセルすることとなった。この体験は「よい減量のきっかけになった」と後に語っているものの[39]、禁酒中でありながら鏡開きを強要されたジャパンプレミアにも戸惑ったらしく、この来日には全く好印象を抱けなかったものと思われる。2009年のオスカー候補者座談会で、この来日時のエピソードを披露した際には、「もう日本に来てはいけないのではないかと思った」とジョークにしている[40]。その後来日は実現していない。
- 『キスキス,バンバン』(2004年)で、長男(インディオ・ファルコナー・ダウニー)が自身の役の少年時代を演じる形でカメオ出演している。
- 自らの逮捕歴や、過去の薬物問題を頻繁にジョークのネタにしており、『シャーロック・ホームズ』のインタビューでは、「7%の溶解液(原作でホームズが常用しているコカイン)は僕に言わせると薄すぎる」と語っている。[41] また次男エクストンの子育てについて「意識が朦朧としながらのおむつ替えは難しいからマリファナはやってない」と語っている。[42]
- 薬物依存のリハビリ・プログラムの一環として始めた詠春拳やヨーガなどのレッスンを、克服した現在も続けている。また『シャーロック・ホームズ』の役作りとしてトレイシー・アンダーソン・メソッドを[43]、『アイアンマン』の役作りとして、グレース・ソマトモーフィック・テクニック(GST)のレッスンをそれぞれ受けている[44]。
- 引き取った2匹の捨て猫を溺愛しており、携帯には愛猫の写真が大量に収められている。2012年5月の『エレンの部屋』(The Ellen DeGeneres Show) 出演時に、写真の一部をお茶の間にも披露した。[45]
- 2014年に始めたTwitterが、史上最速で100万フォロワーを獲得。世界記録保持者としてギネス登録されることになった。[46] また2012年6月から2013年6月の間に7670万ドル(約81億4900万円)を稼いだとして、トム・クルーズと共に「年間で最も稼いだ映画俳優」のギネス世界記録入りを果たした。[47]
- 500ドル(約5万3,500円)より高いものを買うときは、妻の許可が必要らしい。スーザン曰く「中年の危機みたいなバカな買い物をしてもらっちゃ困るから電話して」とのことである。[48]
- どこで撮影を行うことになっても、撮影所付近に借りた部屋に、自身の家具を持ち込み配置する癖がある。これは常に自分の生活空間を「我が家」のような感覚に保つためだそうである。[49]
- 近年主演した大作では『シャーロック・ホームズ』が一番のお気に入りであるとしている。またヒーロー役が続いている現状を「需要がある限りは続けたいが、この状態がいつまでも続くとは思っていない。<スーパーヒーロー時代>が過ぎたら、妻と小規模な映画を作っていきたい」と述べている。[50]
- 2018年に『アベンジャーズ』のオリジナルメンバー6人(ロバート・ダウニー・Jr、クリス・エヴァンス、クリス・ヘムズワース、スカーレット・ヨハンソン、ジェレミー・レナー、マーク・ラファロ)のうち5人が、友情の絆の証して全員お揃いのタトゥーを体に刻んでいる。元々はヨハンソンの発案によるもので、アベンジャーズの「A」にちなんだロゴのようなデザインである。ダウニーは右前腕の内側、ヘムズワースは右わき腹、ヨハンソンは右上腕の内側、レナーは首の裏にあり、エヴァンスの部位は不明[51][52]。マーク・ラファロは「針が怖い」という理由で断った。[53]
フィルモグラフィ
映画
テレビ
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
- 『ザ・フューチャリスト』 - The Futurist(2004年)
参加アルバム
- 『アリー・myラブ〜ベリー・アリー・クリスマス〜オリジナル・サウンドトラック』 - Ally McBeal - A Very Ally Christmas (2000年) ※2曲で参加
- 『アリー・myラブ〜フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ〜オリジナル・サウンドトラック』 - Ally McBeal (For Once In My Life) (2001年) ※3曲で参加
ザ・フューチャリスト
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
---|---|---|---|
1. | 「マン・ライク・ミー - "Man Like Me"」 | ロバート・ダウニーJr.、Jenny Harding-Morris | |
2. | 「ブロークン - Broken"」 | ロバート・ダウニーJr.、マーク・ハドソン | |
3. | 「キンバリー・グライド - "Kimberly Glide"」 | ロバート・ダウニーJr. | |
4. | 「ザ・フューチャリスト - "The Futurist"」 | ロバート・ダウニーJr.、マーク・ハドソン | |
5. | 「リトル・クラウンズ - "Little Clownz"」 | ロバート・ダウニーJr. | |
6. | 「5:30 - "5:30"」 | ロバート・ダウニーJr. | |
7. | 「ユア・ムーヴ〜ギヴ・ピース・ア・チャンス- "Your Move" / "Give Peace A Chance" Medley」 | ジョン・アンダーソン / レノン=マッカートニー | |
8. | 「ディテールズ - "Details"」 | ロバート・ダウニーJr. | |
9. | 「ハンナ - "Hannah"」 | ロバート・ダウニーJr. | |
10. | 「スマイル - "Smile"」 | チャールズ・チャップリン、ジオフリー・パーソンズ、ジョン・ターナー、ジェームズ・フィリップス |
トムホランド
トム・ホランド(Tom Holland)、本名トーマス・スタンリー・ホランド(Thomas Stanley Holland、1996年6月1日 - )は、イギリスの俳優。
日本では「トムホ」[3]「ネタバレ王子」の愛称で親しまれている[4]。 俳優の他にも短編映画「Tweet」(2015年)を監督し、コンピューター・アニメーションの声優も務めている。また、ホランドは両親が設立した慈善団体「ブラザーズ・トラスト」の支援もしている。
略歴
コメディアンで作家の父(ドミニク・ホランド)と写真家の母(ニッキー・ホランド)のもとに生まれた[5][6]。4人兄弟の長男。双子のサム・ホランドとハリー・ホランド、パディー・ホランドを弟にもつ。
幼少の頃にダンス教室に通っていたホランドは、ダンス教室で振付師にその才能を見出され、2008年にヴィクトリア・パレス・シアターで行われた「Billy Elliot the Musical」で「West End stage」で脇役に起用された。その数か月後、タイトルロールに格上げされ、2008年から2010年まで演じることとなった。ホランドはディザスタードラマ「 インポッシブル」で映画デビュー。第33回ロンドン映画批評家協会賞若手英国俳優賞 を受賞した。
2015年、マーベル・スタジオ製作のスーパーヒーロー映画作品シリーズ『マーベル・シネマティック・ユニバース (MCU)』のピーター・パーカー / スパイダーマン役に抜擢されたことが発表され、2016年公開の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』以降のMCU作品に同役で出演している[7]。
私生活
- 同じイギリス出身の俳優ハリソン・オスターフィールドと親友同士であり、2016年から一緒に暮らしている。また、子どもの時に撮影で宿題をする時間がなかったためによくハリソンの宿題を写して提出していたというエピソードがある。
- 映画『スパイダーマン:ホームカミング』で共演した女優のゼンデイヤとはプライベートでの交流風景を幾度かパパラッチされており、交際の噂がたっていたが本人達はただの友達であると否定しており、お互い違う相手とのデート報道がキャッチされていた。しかし、2021年7月に車で2人がキスしている姿[8]がパパラッチされ、再び交際の噂がたった。彼らは明言していないが、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のプレスツアーやInstagramで仲の良い姿を見せている[9][10]。
- 2019年7月にOlivia Bolton(オリビア・ボルトン)という一般人女性とのデート写真がキャッチされたが2020年に別れて友達に戻ったと関係者が話している[11]。
- 2020年女優のナディア・パークスとの交際を開始。同棲生活を送っていた[12]。しかし、2021年2月には破局している。
- ペットのテッサ (Tessa) は、スタッフォードシャー・ブル・テリアという犬種。
- 家族でTHE BROTHERS TRUSTという名の非営利団体を設立している。
- 出身地であるロンドンに本拠地を持つサッカーチーム、トッテナム・ホットスパーFC(スパーズ)のサポーターで、好きな選手はソン・フンミン。なおファンからはスパーズのライバルであるアーセナルFCのサポーターだと長年思われていた。GQでのインタビューで「理想のUEFAチャンピオンズリーグ決勝のカードは?」という質問で「トッテナムと(弟がファンである)ブレントフォードFCのカード」と答えてる[13]。
エピソード
・頬が膨らんでいるように見える輪郭をしているため、あるファンから「いつも口にカエルを隠しているように見えるんだよね。カエルが居心地悪そうに飛び跳ねてるんだけど、カエルが逃げるからトムが口を開けられないみたい」[14]と言われると、自身のInstagramにて、笑い泣きの絵文字を使用しながら「これ面白すぎる。この噂は本当だと認める」[15]とのジョークを投稿。 なお、一部のファンによって、この架空のカエルにはデイヴ (Dave) と名前がつけられている。
・クロワッサンの発音がおかしいと周囲の人に言われているが、本人は全くそう思っておらず不思議に思っている。
・トムはイギリスの俳優であり、普段はブリティッシュイングリッシュを話しているのだが、映画の役に応じてアメリカンイングリッシュで演技をしている。
・2017年 トムが人気トーク番組『ジミー・キンメル・ライブ』に出演した際、 「アメリカの高校生の役をするということが、この映画で一番不安だったところなんだ。だからマーベルに、『僕は高校に潜入するべきだ』って冗談で言ったんだ。本当にそんなことをする気は全くなかったんだけど、マーベルは真に受けてしまったみたいで、僕は筆箱と鞄を持ってブロンクス・ハイスクール・オブ・サイエンス(ブロンクス科学高等学校)という高校に行く羽目になった。そこは天才の学生しか入れない優秀な学校なんだ。そこに偽名とアメリカ訛りで通った。だけど、先生までもが僕を本物の編入生だと勘違いしていて、僕を教室の前に呼び『この問題をどう思う?』と何度も聞かれたんだよ。『全く何を聞かれているのかが分からない…』って感じで恥ずかしかった」と言っておりさらに、「一度クラスの一番後ろに座ったとき、隣の席に座っていたかわいい女の子に『で、あなたはどんな人なの?』と聞かれた。だから僕は『秘密を教えてあげようか。僕はスパイダーマンなんだよ』と話した。でも彼女は信じてくれなくて『あなた今まであった中で1番頭がおかしい』と言われた。その時はまだ『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』がまだ公開されてなかったからね。」という面白いエピソードを明かしている。
・秘密を守ることが苦手であることを公言しており、自身が出演した映画作品の内容の一部を公開前に外部に漏らしてしまったことがある。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のプロモーション活動で、多く行動をともにした俳優のベネディクト・カンバーバッチは、ホランドが秘密を喋りそうになると止めている。また、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で行われる葬儀のシーンでは、秘密を外部に漏らさないために、結婚式のシーンを撮影すると騙されたことも話している[16][17]。また、マーベル・シネマティック・ユニバースで共演している俳優のクリス・プラットは、プラットが主演の映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』の脚本が届いてもいない段階で、内容を明かされた(監督のフアン・アントニオ・バヨナがホランドに内容を教えていた)[18][19]。
・『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のオーディション初日に、急遽ロバート・ダウニー・Jrの到着を知らされたホランドは、挨拶の際、緊張のあまり間違えてスタントダブルに挨拶をしてしまったことがある。
・2017年、クモのタトゥーが右足の裏にあることをファンに披露した。徐々に薄くなってしまうため、披露した時点ですでに3度入れ直したと語っている[20]。
・トッテナムのサポーターであるトムは2021年のバロンドールの授賞式に「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」のプロモーションも兼ねてゲストとして参加した際、キリアン・エムバペをトッテナムへ勧誘したが、冗談交じりで断られたとのこと[21]。
アリーシャディクソン
アリーシャとしても知られるアリーシャアンジャネットディクソン(1978年10月7日ハートフォードシャー州ウェルウィンガーデンシティ生まれ)は、英国のポップシンガー兼ダンサーです。
バイオグラフィー
彼女の新たな人気に続いて、賭け屋はダンスショーの音楽に設定された2007年のクリスマスヒットの候補として彼女を宣伝してきましたが、そのようなものは何も計画されていませんでした。2008年の夏、彼女はアサイラム/ワーナーと4枚のアルバムの新しいレコード契約を結びました。彼女の2番目のミュージカルベンチャーであるTheAlesha Showは、11月のリリースのために制作されていました。彼女のダンスの成功に基づいたマンボソングであるプレシングルのTheBoy Does Nothingは、トップ5ヒットになり、国際的にも配置することができました。セカンドシングルのBreatheSlowは、イギリスでも3位に達しました。2009年7月3日、アレシャは、バートクロイツナッハで開催されたラインラントプファルツデー2009の一環として、ソロアーティストとしてドイツで唯一のコンサートを行いました。Alesha Showは、11月のリリースのために制作されました。彼女のダンスの成功に基づいたマンボソングであるプレシングルのTheBoy Does Nothingは、トップ5ヒットになり、国際的にも配置することができました。セカンドシングルのBreatheSlowは、イギリスでも3位に達しました。2009年7月3日、アレシャは、バートクロイツナッハで開催されたラインラントプファルツデー2009の一環として、ソロアーティストとしてドイツで唯一のコンサートを行いました。
ディスコグラフィー
Alben Fired Up(2006/2008)Alesha Show(2008)The Entertainer(2010)Do It For Love(2015)Singles Lipstick(2006、als Alesha)Knockdown(2006、als Alesha)The Boy Does Nothing(2008)Breathe Slow (2009)Let's Get Excited(2009)To Love Again(2009)Drummer Boy(2010)Take Control(2010、Roll Deep features Alesha Dixon)Radio(2010)Every Little Part of Me(2011、feat。JaySean)Do It私たちの道(遊び)(2012)
Webリンク
インターネット映画データベースのAleshaDixonAleshaDixon.netの公式MySpaceページ